朝鮮通信使の起こり
徳川家康は征夷大将軍になった時、秀吉の朝鮮遠征によって壊された国交の回復の必要性を痛感した。
しかし、朝鮮では依然として対日感情は悪く、日本の態度には懐疑的であった。
処がたまたま日本から脱出して帰国した俘虜から日本の事情を聞かされた朝鮮政府は、俘虜の送還問題もあったので、従来の態度を一変し、修好に応ずることにした。
交渉をはじめて4年後の慶長12年(1607年)にようやく和平が成立し、その第1回の通信使を日本へ派遣することとなった。
以後約200年にわたって12度、通信使の来日があった。