はじまり
和田宮のだんじりは、約300年前の江戸時代には既に曳かれていました。
岡方総会所に残された古文書の元文3年5月の記事に
『和田宮祭礼に付出在家町之ねり見物ニ来リ候へと南濱御両人より昨今共使参(後略)』
とあり南濱の名主から岡方の名主に対してだんじり見物を招待しているように、和田宮の春祭は南濱の一大盛儀として行われていました。
当時は船で大阪や泉大津また淡路などのだんじりが兵庫にやってきました。
そのころ『兵庫津』は大いに栄え廻船問屋が軒を連ね、だんじりを購入したり新調したりする旦那衆には事欠かなかったものと思われます。
また幕府の締付けがあったにもかかわらず、祭りは年々派手になり経済力を持った町衆によりだんじりにもお金に糸目をつけず新調・購入されていきました。
だんじりは宮大工よりも船大工の方が筋であるという考えが一般的であり、船大工町という名前が残っているように、船大工により新調されただんじりも数多くあったのではないかと考えられています。