秋葉神社には火を司る神様が祀られています。
火の幸を恵み、悪い火を鎮め、災いを祓い除きます。
兵庫津には高田屋嘉兵衛や工楽松右衛門また北風家のような大きな廻船問屋が軒を連ねており、他にも特定の大名に物産取扱の特権を与えられた兵庫津独自の問屋がたくさんありました。その中にあって火事は一度にたくさんの財産を失う悲惨な出来事であり、兵庫津では特に気をつけなければならない事でした。
御祭神 | 忌火産靈神(いみびむすひのかみ) | 台所の神様 |
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御札 | 秋葉神社の御札は台所などの火を取り扱う所に飾ります。 火の幸を恵み、悪い火を鎮め、災いを祓います。 |
鎮火の儀では「わかめ」を使って火を鎮めるという珍しいお祭りです。
●毎年8月18日午後6時
むかし むかし の事。
御先祖様が浜を見回りされたところ、あまたの
流木の中に一匹の小さい白蛇がござるので
『これは これは あらたかな 神のお使い様だ』
もったいないと扇子をひろげて砂の上に置くと
蛇様は扇子の上でとぐろを巻かれました。
家に持ち帰り庭の老松の根方にお鎮め申し上げ
祠をしつらえおまつりした。
そのうち浦人たちが聞きつたへて参りに くるは くるは。
『もったいなや もったいなや こうして
おまつりしはじめたのが和田明神なるぞ』
『御正体は白蛇様であるぞ』
この塚は和田神社の神使として古来より崇敬されてきた白蛇をお祀りしたものです。
白蛇については「網屋古伝記」や「延宝八申年南浜万覚帳」等の古文書に話が残り、その他にも明治の社殿移転の時や戦災後の本殿再建の際にも白蛇が姿を表わした話が伝わっています。
古くなった御札や御守また神具(神棚の道具)を納めるところです。毎年の1月15日にお祓いをした後にお焚き上げします。
●火焚祭 毎年1月15日
●初穂料 100円
紙垂の間から入れて下さい
この神社には道開きの神様として知られている猿田彦神と芸事を司る神様の天宇受賣神(あめのうずめのかみ)が祀られております。猿田彦社は江戸時代中期頃伊勢(三重県)の御師(おんし)である二見太夫(現・猿田彦神社)によって勧請されたお社です。
●猿田彦祭 毎年4月5日
御祭神 | 猿田彦神(さるたひこのかみ) 天宇受賣神(あめのうずめのかみ) |
方除の神 芸能の神 |
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京都伏見稲荷神社より勧請されました。
江戸時代の記事には既に和田神社で御祭が行われていた事が伺われます。
現在では会社や商売をされる方から厚く信仰をあつめています。
●旧暦二の午の日(三月中下旬)
御祭神 | 倉稲魂神(うかのみたまのかみ) | 食物の神様 |
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大鳥居をくぐり抜け参道を進んだところの左側に大きな石碑が立ち並ぶ中、ひときわ大きく聳え立つこの石碑こそが神田兵右衛門の彰徳碑です。
兵右衛門は新川運河の開削工事、明親館ほか十数か所の学校設立、神戸市の初代市会議長、神戸商業会議所の設立など、数々の業績を残した神田翁の功績を後世に伝える為に、兵庫南濱七ヶ町が協議し明治44年3月に建てられました。
当時、多年の封建制度抑圧の下にあり、血気盛んな青年が溢れ素行の乱れを案じた兵右衛門は
『知識を啓発し、子弟を教化するの道を講ずべき也』
と学校設立の計画をする。
兵右衛門は当時、県知事を努めていた伊藤博文に学校設立を申し出て、これを了承した県知事は、旧幕府勤番所址を学校建設の為に提供する。
この学校を名付けて『明親館』という。
その運営は多額の元金を商家に貸与し、その利息を持って校費に当てていた。
年を重ねて運営が隆盛になるにつれ、有志者を集めて元金を増やし、小学校を十数校と卒業生の為に上級学校を設立した。
神戸港は古くより『兵庫津』『大輪田の泊』と称され、天然の良港として栄えてきましたが、毎年の秋頃になると季節風が強く吹き、湾内に入るのに大変苦労を強いられておりました。
日頃よりこれを案じていた兵右衛門は
『運河を開削すれば天候にかかわらず湾内に船舶が出入自由となり、
その恩恵を受けて港は更に繁栄するであろう』
と今出在家町から築島にかけての運河開削の計画をしました。
兵右衛門は代表者となり兵庫県より弐萬五千円の補助と事業賛成者より弐萬円の資金を調達し『新川社』を設立し着工しました。
しかし工事にあたっていた会社が倒産、また工事資金が底を付くなど、しばしば工事が止められておりました。
しかし兵右衛門は巨額の私財を投資して工事を完成させました。
その額、壱拾弐萬六千円也。
明治22年に神戸市制が施行され、初代市会議長を勤める。
その間に神戸市常設委員長や水道布設委員長として神戸市の水道布設に力を尽くした。
また神戸商業会議所を設立し、その初代頭取となり、神戸市の商工業の発展に尽くされました。
神田兵右衛門ご夫妻
この神社にはかつて『宮比講』という崇敬会が組織されていました。
その象徴ともいうべきこの御社には、古くより自らが信仰する神様を祀る習慣があり、たくさんの神様がお祀りされています。
御社の前に飾られている額は旧大鳥居に掛かっていた物です。
●宮比祭 毎年1月15日
御祭神 | 大宮能咩神(おおみやのめのかみ) | 和平の神様 |
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大山祇神(おおやまつみのかみ) | 材木の神様 | |
大地主神(おおとこぬしのかみ) | 土地の神様 | |
大黒天(だいこくてん) | 食物の神様 | |
毘沙門天(びしゃもんてん) | 勝負の神様 | |
福禄寿(ふくろくじゅ) | 福寿の神様 | |
寿老人(じゅろうじん) | 長寿の神様 | |
布袋(ほてい) | 円満の神様 |
古くは人形を人の身代わりとして用い、これに罪・穢・災いを移して御祓し、海や川に流したりお焚上げをしたりしていました。
当社では飾られなくなった人形を随時お祓いしております。
また毎年1月15日には納められた人形や古い御札などを全てお焚上げしております。
●火焚祭 毎年1月15日
●人形納め 初穂料2,000円
まず、社務所にお声かけください。
※ケースやガラス類は持ち込まないようお願いします。
※なお現在、お客様は立ち入ることができません。
人形を納めている風景
関西一を誇っていた御影石の大鳥居は、明治32年に旧社地より移転されて来ました。
(現在の三菱重工業㈱神戸造船所内)
以来、約100年の間に都市計画などにより数回の移転を繰り返しながら現在の所に移って来ましたが、平成7年1月17日未明に発生した阪神淡路大震災により全てが倒壊しました。
氏子崇敬者の心温まる御奉賛により平成8年11月に新しく御造営をしました。
新しい大鳥居には当時の被災状況が記されています。
倒壊前の大鳥居
神社参道入口の左右にある一対の石灯籠には嘉永七甲寅三月(1854年)と記されています。
他にも尾州廻船(愛知県)や江戸(東京)、相州(神奈川)の廻船問屋の名が記されています。
当時の兵庫津は西国最大の取引地として全国各地から品物の買付に訪れており、これまでにも各地の古文書などから既に確認されていましたが、兵庫津側では戦災や水害により多くの資料が失われており、それを補う資料として注目されています。