御祭神
天御中主⼤神
江戸時代の国学者本居宣長には『天の真中に坐々て世の中の宇斯たる神』また平田篤胤には『天地萬物の主宰神』と解され信仰された神様です。
万治二年、西暦1659年に和田岬に御輿が流着き種々の神異をあらわし、これを知った時の領主青山大膳亮幸利により社殿が調えられた後は南濱の総氏神として広く人々に親しまれ崇敬されました。
江戸時代の国学者本居宣長には『天の真中に坐々て世の中の宇斯たる神』また平田篤胤には『天地萬物の主宰神』と解され信仰された神様です。
万治二年、西暦1659年に和田岬に御輿が流着き種々の神異をあらわし、これを知った時の領主青山大膳亮幸利により社殿が調えられた後は南濱の総氏神として広く人々に親しまれ崇敬されました。
淡路島より葦の船に乗って流着いた最初の地が和田岬とされ、古来その地に在った森は『蛭子の森』と云い神代の昔から蛭子大神がお祀りされてきました。
時代が降り西宮神社へとお祀りされる事と成った後にも≪産宮参り≫と呼び和田岬へと西宮神社の御祭神が渡御されて来ました。
承安三年、西暦1173年平清盛が兵庫津の築港に着手するも工事難渋した為、港の無事完成と今後の繁栄を願い、安芸の宮島の厳島神社に祀られる市杵嶋姫大神の御分霊をお連れし七か所にお祀りしたと伝わっています。この内の一つが和田岬に祀られていました。